亀老山展望台は瀬戸内海中央部、芸予諸島最南端の大島(今治市)に位置しています。
この展望台について、現地の案内図には次のように記されています。
亀老山展望台 標高307.8m
この展望台は南北2つのデッキ以外はほとんどが地中に埋設された世界にもまれな展望台です。唯一地上に顔を出したA・Bデッキからは日本3大潮流のうちの一つの来島海峡や西日本最高峰の石鎚山など、雄大な風景をのぞむことができます。また展望デッキBには「見る」ことの謎を説きあかすための3対の装置が配置され、単に風景を楽しむだけでなく、「見る」という行為そのものを考え直すことが可能です。
「埋設された展望台」これが、この建築の大きな特徴です。設計者の隈氏は「モニュメント」として期待されたであろう、展望台という設計の依頼に「反オブジェクト」という概念を用いて応えました。
「反オブジェクト」とは何でしょうか。隈氏は著書『反オブジェクト』で語ります。
一言で言えば、自己中心的で威圧的な建築を批判したかったのである。
(中略)オブジェクトとは、周囲の環境から切断された、物質の存在形式である
隈氏は、建築が周囲の環境と調和していなくても(「切断」されていても)一つの作品として評価する風潮、そして、そのようにしてできた建築を「オブジェクト」と呼び、非難しているのです。
この展望台は、外から見ても展望台の「カタチ」は見えてきません。展望台への入口は、ただ山の側面にスリットが設けられているだけです。展望台自体は地面に埋められ、外からは展望のためのデッキが乗っかっているだけに見えます。
また、隈氏はこう付け加えます。
亀老山こそがモニュメントではないか。そこにある自然こそがモニュメントではないか。
美しい環境に展望台が建てられるということには「展望台ができることで、その美しい自然が壊されてしまう」という矛盾を孕んでいます。そして、展望台は「見る」ためのものであって、展望台自身が「見られる」ためにあるのではないといえるでしょう。だからこそ、主役は亀老山の自然であって、展望台は「オブジェクト」であってはならないと主張するのです。
こうしてできた亀老山展望台は、「埋設」されたことによって、強い空間体験を獲得しているように思います。
山の頂上まで上ってきた人はスリット状の入り口へ入りますが、ここは両側がコンクリートの壁に囲まれた狭い空間です。一旦、その空間に身を置くことで、そこから階段を上がり、開けてくる瀬戸内海の風景がより一層印象を残すという効果を生み出しているように思われます。
参考文献
愛媛県INDEX |